前回の記事で書ききれなかった気がするので続きみたいな文章なのだが、
これは、ある特定の物事に対する価値観も、時間の経過や自分の置かれる状況などで変化する(可能性がある)という意味合いで書きました。今度は、いくつかの連続する評価がある場合の話。
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面倒だから評価をまとめてしまいがち
例えば、人に対する評価。一人の人と付き合っていても、その人には良い面と悪い面があると思います。多くの人が自分にとってプラス・マイナスを合計にしていって総合的にプラスになった人と仲良くする。これはとても合理的なことで人間関係を円滑にする上では当たり前なことだと思います。すごく打算的に感じるかもしれないけど、通常はこれを無意識でやってるんじゃないかと。
贔屓:合計しちゃうと反対要素を無視しがち
気をつけなきゃいけないのは、総合評価にしてしまうと反対要素(合計プラスの人のマイナス要素、合計マイナスの人のプラス要素)が見えづらくなってしまうということ。例えば、仲の良い友だちの小さな悪事は「友だちだから」という謎の理由で目をつむってしまったり、逆に仲の悪いグループがいたら、その人達が良いことをしていても「とはいえ、あいつらはダメなやつらだ」と論理なく切り捨ててしまう。
ま、いわゆる贔屓ってやつですね。これがグループだったりすると「しがらみ」にもつながっていくやつです。
これを続けていっちゃうと、「贔屓」という前提もそのうち忘れてしまって正常な思考ができなくなっていきます。
別々の事象のプラス・マイナスでチャラとか実際は無理
評価ってそもそも、数学のようにプラスの事象と、マイナスの事象を打ち消し合ってゼロにするっていうことが実際はできないと思うんです。例えば、足がものすごく速いんだけど、勉強ができない人がいたとして、足の速いプラスと、勉強ができないマイナスが打ち消し合ってゼロにはならないじゃないですか?
※足が速いのをプラス、勉強ができないのをマイナスに評価する前提も人によって違うとおもいますが・・・。
そもそも人間の評価は感情に流されがち
もっというと、人間はそんなに論理的に評価していないと思っていて、感情に流される面が多いと思います。
すごく仲がよくて喧嘩もしながらプラス1・マイナス1を積み上げて、+10くらいになっている友人同士が、大きな喧嘩(-5)して絶交しちゃったりするじゃないですか?足し引きしたら「10 – 5 = 5」でまだプラスなのに、最後の大きなマイナスの印象が感情を支配してその人事態を拒絶してしまったり。
日大アメフト部の例
日大アメフト部のオフプレー時の危険タックルをしてしまった件にして(またその話かと言われそうだけど・・・)少しモヤモヤしている部分があるのです。プラス・マイナスの話にしても、マイナスしかでてこない日大アメフト部の監督・コーチ、日大学長や広報の人などは今の所良い部分を見つけるのが困難な状態なのでスルーしますが、、、
加害者とされている日大の選手について、本人による記者会見が行われ監督・コーチから指示があってやった、アメフトは引退するといういさぎの良い内容だっため同情が寄せられています。謝罪を行い、十分な社会的制裁も受けているので許されるべきという世論には同意するのですが、彼のやった行為自体は絶対に悪であることを忘れてはいけません。
- ☓ 悪質タックル
- △ 指導者に指示され、従わざるを得ない状態だった(情状酌量の余地)
- ◯ 誠意のある謝罪・会見
メディアは残念ながら、プラス・マイナスを合算して平均するのではなく、目を引く方に誇張する傾向があります。日大アメフト部の監督・コーチは悪、選手は善と対比されるように報道されているように感じていますが、一番大事なのは再発防止だと思うので、正確な事実の把握につとめていただきたいと思います。
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